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「八紘一宇」と「日本魂(やまとだましい)」

 投稿者:末延芳晴  投稿日:2015年 4月 5日(日)05時45分9秒 softbank126091120235.bbtec.net
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  「八紘一宇」と「日本魂(やまとだましい)」

                       〔1〕

衆議院の予算委員会で、自民党の三原じゅん子議員が「建国以来、日本が誇るべき精神である」として、「八紘一宇」という言葉を持ち出し、「企業の国際的な課税回避の問題を取り上げる中で「八紘一宇の理念のもとに、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と語ったことが問題になっています。

朝日新聞や毎日新聞も、社説でこの問題を取り上げ、日本全体が軍国主義に染まり、武力を背景に「大東亜共栄」の掛け声とともに中国や韓国など近隣諸国に侵略していくうえで、国家理念として掲げられたこの言葉を、戦後70年を経た今、国会審議の場に持ち出すことの時代錯誤性を指摘したうえで、危険な考え方であると批判しておりました。

新聞や雑誌、さらにはネットの上で行われている、この発言に対する批判的言説のほとんどは、「八紘一宇」という言葉自体は、「世界全体が一つの家族のように慈しみ合う」という意味で問題ないが、昭和の時代になってから、軍部が侵略戦争遂行のための大義として利用した、忌わしい歴史がある以上、そして日本が戦後、民主主義的平和国家として立ち直り、70年経った今、過去の亡霊のような「死語」を持ち出すことは、日本を戦前の軍国主義国家に引き戻そうとする危険極まりない考え方であるというものでした。

ですが、「八紘一宇」という言葉そのものに、本当に問題はなかったのか。この言葉、そのものが危険な排除と支配、さらには独裁の思想をはらんでいたのではないか……。そのことを見極めず、言葉そのものは問題ないとしてしまうことは、安倍首相が、今必死なって遂行しようとしている戦後日本の否定という危険な政治プロジェクトが完結し、日本が平和憲法を放棄し、自衛隊が「国防軍」として正式に認められ、文官統制が崩れていくような事態なれば、この言葉が、日本国家の理念として復活する可能性があることを許してしまうことになるのではないか。

そうした意味で、私たちは「八紘一宇」という言葉そのものが、独裁的な国家体制を許す危険な思想性をはらんでいることを、しっかりと見極めておく必要があると思います。

さて、それでは、なぜ「八紘一宇」という思想は危険なのか? 理由は二つあると思います。

一つは、「すべての国家や民族が一つの家族のように親しみ、慈しみ合う」という思想が、それぞれの国家や民族が持つ歴史や社会・政治的形態、文明・文化、生活習慣や価値観、考え方における、固有の独自性や差異、対立の構造が排除・消去され、そこの生じる均質的な家族、あるいは疑似家族的共同体に、政治的な統治の力学として家父長的な上からの統治と支配の力が働き、一つの価値観によって全体が縛られ、個人の自由や尊厳性、生存権が奪われ、同時に異質なものが排除されてしまう。そして、かっての日本がそうであったように、同質的で閉ざされた全体主義的国家になってしまうという危険性をはらんでいるからであります。

重要なことは、大正期に『日本書紀』巻第三神武天皇の条に書かれた「掩八紘而爲宇」の文言を縮めて、「八紘一宇」という言葉を創ったとされる日蓮主義者の田中智学が、「八紘一宇」という言葉の本来の意味について、「人種も風俗もノベラに一つにするというのではない、白人黒人東風西俗色とりどりの天地の文、それは其儘で、国家も領土も民族も人種も、各々その所を得て、各自の特色特徴を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成して」と、国家や民族、言語、宗教、歴史や社会、文化の多様性を認めながら、そのすぐ後に「中心の一大生命に趨帰する、それが爰にいう統一である」として、「八紘」の中心に「一大生命」が措定され、それが「統一」であるとされていること。すなわち、田中の言う「中心の一大生命」と「統一」を「万世一系の天皇」と天皇による「統治」に置き換えることで成立したのが「八紘一宇」という思想であったわけです。

以上から、「八紘一宇」が天皇を独裁的支配者として仰ぎ、、天皇による親政と統一を世界に広げていくのが神国日本の普遍的理念であり、使命であるとする危険な思想であることが明らかにされたと言えるでしょう。

                     〔2〕

「八紘一宇」という思想が危険であるもう一つの理由は、単一民族による同質社会に会って、天皇や将軍など政治的権力者による支配が長く続き、かつ中国儒教の影響で家父長制が上から下まで貫徹・浸透してきた日本にあっては、「八紘一宇」に象徴される理想家族の構造において、天皇や家父長が中心、かつ頂点に立ち、家族の構成員たる国民を支配する、縦型の支配の力学が働きやすく、それが結果として天皇を頂点とする絶対主義国家の成立・貫徹を容易たらしめているということ。しかも、天皇を頂点に頂く絶対主義的国家構造は、軍部や右翼思想家・活動家だけでなく、一般国民、ひいては文学者のような、本来個人の自由を抑圧し、自己のコントロール下に置こうとする権力や国家のような超越的な存在を認めず、批判的に対立する立場に立つはずの人間まで、自明の理として受け入れられてきたということであります。

たとえば、近代俳句や短歌、散文芸術の生みの親とされてきた正岡子規は、陸羯南の主催した日刊紙「日本」の編集記者として、明治政府を批判し、風刺する俳句を詠み、記事を書くことで反政府的立場に立つジャーナリストでした。ところが、元々伊予松山藩の士族の子、それも長子であったため、家父長意識が強く、日清戦争がはじまると、それまでの反政府的立場を一気に逆転させ、お国のために従軍記者として出征し、「書く」ことを通して家名を上げ、歴史に名を残そうという悲壮な覚悟を俳句や短歌、新体詩に詠み、遼東半島の出陣、結果として肺結核を再発して命を縮めているのです。

その子規が、結果として「八紘一宇」につながる、天皇を最高統治者に祭り上げ、日本国家の家父長として仰ぐ家族主義的国家観を持っていたことは、これまでの子規論においてはまったく触れられてこなかった。しかし、正岡子規が、大岡昇平の言うように、「近代文学の礎を築いた文学者」であるとするなら、子規が内包していたこのような前近代的な「負」の心性、あるいは思想にも光が当てられなければならないはずなのです。なぜなら、子規の抱えていた、戦争という非常事態において、本来対立し、背立するはずの「個人」と「国家」の関係が逆立して、「国家」が「個人」に優越することを受け入れてしまう、いわば「逆転する精神の構造」こそが、日本の近代文学の根底に走る矛盾であり亀裂であるからであり、そのことを見つめ、乗り切らない限り、日本の近代文学は20世紀、いや21世紀の世界文学に追いつくことができないからであります。

本来逆立し、背立し合うはずの個人と国家の関係が、戦争という異常事態において、一気に逆転して個人が国家に同立・同調し、国家が個人に優越し、支配してしまうという子規の国家観は、一か月余の従軍取材を終えて日本に帰る途中、船の上で喀血し、須磨での療養生活、及び松山での予後の生活を経て、東京に戻り、再び病床に身を横たえるようなってから書き、「日本」に掲載した「制裁」というテキストに読み取ることができます。すなわち、子規は、この文のなかで、「制裁」というタイトルからも明らかなように、戦争を国家による国家に対する「制裁」行為ととらえ、「制裁」行為として行われる戦争を個人間の喧嘩の延長とみなして、次のように自説を開陳しています。

 国と国と議論の上に相争ふて両者共に屈せざれば、終には其勝敗を干戈(かんくわ)の上に決す。之を戦争といふ。(中略)
 喧嘩は少人数の戦争なり。戦争は大人数の喧嘩なり。事に大小あれども理に於て一なり。戦争を尊び手喧嘩を卑むは、小を知りて大を知らざる為めのみ。若し戦争を以て一国独立の結果として已むを得ざる最後の手段と名さば、喧嘩も亦時として個人独立の上に已むを得ざ る手段なりと謂はざるべからず。国の戦争は国の生存に必要なると同じく、小児の喧嘩は小児の生存に必要に、男伊達の喧嘩は男伊達の生存に必要に、武士の喧嘩は武士の生存に必要なるは言ふ迄もなし。


子規は、このように、戦争とは国同士の「喧嘩」であり、それは子供や大人が「生存」をかけて戦う「喧嘩」と本質は同じであるとし、国家による国家に対する「制裁」行為としての戦争の正当性について、以下のように主張しています。

 今日に在りて戦争の已むべからざるは、昔の武士道、若しくは男伊達の刀に掛けて勝負を決するの已むべからざるが如し。時勢の変遷に応ずるの手段は異なりと雖も、之に応ずるの道は則ち一なり。曰く、各個若しくは各国の生存上に必要なる面目を保つに在るのみ。然らば則ち苟も其面目を傷くる者あらば、之に相当の制裁を加へざるべからず。

子規は、ここで明らかに三国干渉を意識しており、下関条約の成立により日本への譲渡が決まった遼東半島を清国に還付するよう要求してきたフランス、ドイツ、ロシアに日本は制裁を加えるべき権利があるということを、いおうとしているように読めます。ですが、そのことはおくとして、この文で注目されるのは、子規が、国家同士の戦争を個人間の喧嘩と同一のものをみなしていること、そしてそこから、個人と国家の間に区切りというか、壁を置かず、同一・同質のものと捉えようとする子規の国家観がうかがい知ることできることです。

それにしても、今日、私たちの視点からいえば、事が戦争にかかわる限り、国家と個人を同一視するわけにはいかないことは明らかです。なぜなら、個人の「喧嘩」であるなら、暴力行為は当事者である個人の自由意志によって行われるものですが、戦争の場合は、暴力行為を行う主体としての兵士は、個人の意志と関わりなく、国家が徴兵制によって強制的に取り立てた個人が宛がわれることになるからです。つまり、戦争に駆り出されて、人を殺したくない、あるいは思想・宗教上の理由で、人を殺してはならないという掟を守って生きている個人をも、国家は「国民の義務」を理由に徴兵し、軍事訓練を施し、兵士として仕立て上げて、戦場に送り込むようになるわけです。

こうした関係からも明らかなように、国家と個人の間には越えることのできない壁が存在し、両者は壁を挟んで逆立・対立し合う関係にも立つというのが、近代における国家と個人の関係であるはずなのです。にもかかわらず、子規は、本質的に治者の側に立つ人間だったからなのでしょうか、国家と個人の間に横たわる大きな壁、あるいは亀裂が見えていなかった。その意味で、子規は、近代人としての条件を満たしていなかった。子規が、日清戦争を個人間の喧嘩のように「制裁」を加えるべき正義の喧嘩とみなし、自身も個人であることを放棄して、積極的にかかわろうとした理由がそこにあるといっていいでしょう。

                    〔3〕

子規の国家観をもう一つ特徴づけているものとして、無視することができないのは、子規が、家族と国家を同一視し、その中心的頂点に天皇を位置付け、「国民国家」の最高の統治者として仰いでいたことです。そうした子規の超国家的統治者として、天皇を最高位に頂く国家観を最もストレートに言い表したものとして、明治二十七年の二月十一日、建国記念日に発行された「小日本」創刊号の巻頭に載せられた、子規自身が編集主幹として書いた「『小日本』を興すの旨趣(ゆゑよし)」の冒頭部分の記述を見ておきたい。

 我皇国(みくに)には開闢以来世界の万国に優れて貴き皇国ながらの魂あり、是を『日本魂(やまとだましひ)』とはいふなり。此の魂は君としては国民を恵の仁君となり、臣(おみ)として君に国に誠なるの忠臣となり、親としては子を憐(あわれ)ぶ慈親となり、子としては親にまめなる孝子となり、兄としては弟を導く友兄となり、弟としては兄を敬ふ悌弟となり、夫(せ)としては婦(いも)を愛(いつくし)む良夫となり、婦としては夫に従ふ貞婦となる。此魂は清く、鮮(さや)けき山河の景色と共に世に輝き、和(やわら)かに穏やかなる気候と倶に国に充ち、幾千万代(いくちよろず)の久しき月日墜(おと)さず失はず保ち来て、今の皇国(みくに)を現せり。

要するに、「上は仁君たる天皇からその臣下、親、兄弟、夫婦まで、日本人は、家族のようにお互いがお互いをいつくしみ合うことで「皇国(みくに)」を創り上げ、数千年もの長きにわたって、その伝統を保ち続けてきた。それを可能にしたのは、世界に優れた「日本魂」である」という意味で、日本が、世界に冠たる近代国家として発展・成長していくうえで、絶対不可欠である「日本魂」の現前、あるいはそのシンボルといってもいい天皇に対する忠誠心を、子規は自明のこととして共有していたということ。そしてその天皇が布告した戦争である以上、「日本」もその決定を当然のこととして受け入れ、新聞紙面を通して全面的に支援すべきである、というのが子規の考え方であったわけです。

佐幕派であった松山藩の藩士の長子として生まれ、そだった子規は、現実の政治を動かしている薩長藩閥政府が従うように求めてくる共同性に自らを委ね、托することは出来なかった。そのため、明治政府を批判・風刺する俳句や短歌、記事を書いて「日本」に発表してきた。しかし、戦争という非常事態にあっては、「天皇」という超国家的共同性に、全面的に自らを委ねていった。そこに、明治政府と政治の在り方をあれほど痛烈に批判していたにもかかわらず、その政府が、「天皇」の名において、清国に対して宣戦を布告すると、手のひらを返したように戦争翼賛的記事を書き、結果として日本の植民地主義的侵略を容認し、支援するようになっていく最大の要因があったということになります。そのことを、これから先、正岡子規や夏目漱石といった、日本の近代文学の基礎を作り、大きく発展させた文学者が、なぜ戦争というものに批判的に関わることができなかったかという、日本近代文学の根底に関わる矛盾をを読み解いていくうえで、しっかりと押さえておく必要があるといえるでしょう。

以上を踏まえたうえで、「小日本」の創刊号巻頭社説に関して、もう一つ指摘しておかなければならないのは、ここに引用したリード文に続いて、隣国の中国が儒教の「仁義」を国家の旨としながら「仁義」に欠け、西洋の国々がキリスト教の「博愛」を国家の理念として掲げながら現実の振る舞いにおいて「博愛」を欠いているなか、真に「仁義」と「博愛」の精神を体現しているのは、天皇を頂点に仰ぐ日本の家族主義的国家とそれを支える「日本魂(やまとだましひ)だけであるとして、次のように宣言していることです。

 寔(まこと)に天下に仁義を踏み、博愛を行ひ来し国民(くにたみ)なりてふ誉を負はん者は、広き世界の中に於きて、只我大御国(おほみくに)あるのみ。かヽれで彼の打ちつ打たれつ興り亡ぶる潮の八百重(やほへ)の百八十(もヽやそ)の国人を麾(さしまね)きて、人の人たる真の道に立たしめなん皇天の御使(みつかひ)は、即ち『日本魂(やまとだましひ)』をもたる我等皇国人(みくにびと)の外あらじ、重ねていへば近くば人間(ひとよ)の文化を開き、遠くば天地の化育を賛(たす)けんは是れ此『日本魂(やまとだましひ)になん。

ここに荘重かつ非常に勿体ぶった文体で書かれた、大昔から戦いの興亡を繰り返してきた世界の国々を「人の人たる真の道」に立たせることができるのは日本の天皇国家を支える「日本魂(やまとだましひ)」だけであるという考え方こそが、そののち日本が「大東亜共栄」の旗を押し立てて、「八紘一宇」の理念をこの世に実現するために、中国や朝鮮などアジアの近隣諸国に対して侵略戦争を仕掛けていくうえで、精神的バックボーンとなっていった。そして、対立するもの、異質なものを排除し、均質的な同族社会を求める結果、中国や韓国に対する嫌悪感が国民感情に広く共有され、ヘイト・スピーチがあからさまに行われている今の日本の社会状況と国民心理のありようを見ていると、「八紘一宇」という危険な理念は、今も日本人の心の底に根差し、生き続けていると思わざる得ません。

そうした意味でも、「八紘一宇」を過去の死語と片付け、そんな過去の亡霊を国会での議論の場に持ち出すことを「何をいまさら、時代錯誤な」と笑い飛ばすのでなく、戦後70年を経た今もの多くに日本人の心に生き続けている言葉としてとらえ、その危険性と正面から向かい合い、批判的に乗り越えていく言説こそが、今、最も求められているのではないでしょうか。
 
 
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