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愛人 ラマン

 投稿者:谷 昌親  投稿日:2010年 6月25日(金)15時28分21秒
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   安藤君、発表お疲れさまでした。
 発表の最後の服装についての部分、なかなか聞きごたえがありました。しかも、たんに服装のことだけでなく、それが少女や青年に課せられている束縛との関係で論じられることで、非常に興味深い論点を出してくれました。むしろそうしたことについて、皆さんの意見を聞いてみたかった気もします。つまり、自分のことを振り返ってみた場合、自分が大人になっていくことと、服装の選び方などがどう関係していたのか、といったことですね。
 車とその窓ガラス、出会いの場としてのメコン河の意味、といったことも興味深かったのですが、最後の点に関しては、たしかに川は一種の境界であるわけですが、この小説の場合は自伝的なものであるだけに、川での出合いは実際に起きたことかもしれません。むろん、それでもメコン河が作品のなかで持つ意味や機能を考えてみることはできますが、「なぜメコン河の上で…」という問いの立て方とは少し違ってくるように思います。
 ところで、小説の作者デュラスはアノーによる映画化作品に満足できなかったわけですが、なぜそうなったのかというのをもう少し考えてもよかったかもしれません。そしてそれは、授業中に少し考えてみたデュラスの文体などとも関係しているように思います。そうしたデュラスの文体や小説の構成と、アノーによる映画化の特徴を比べてみると、両者の特性がさらにはっきりした部分もあるかと思います。ちなみに、デュラスは『愛人 ラマン』の執筆の動機を、存在しない一枚の写真としているのですが、そのことも関係してくるでしょう。
 いずれにしても、物語はほぼ同じでありながら、たんに文字と映像という違い以上に、小説と映画は異なってきているように思います。そのあたりは、これまで授業でとりあげきた例以上にはっきりしているので、まだ読んだり観たりしていない人は、ぜひ一度、両者を較べてみてください。
 
 
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